プロフィール
略歴
- 1943年富山県生まれ。
- 1962年日本ゼオンに入社。
- 1983年から川崎中央民商顧問、1987年市議初当選(4期)1991年市立川崎高校PTA会長。
- 2000年サバンナクラブ会員。
- 川崎区革新懇代表委員。
- 2001年から日本ベトナム友好協会川崎支部支部長。
- 2003年から「くらしの相談センター」所長。
- 町内会防災部長、公園に菜の花を咲かせる会会長など。
- 市会議員6期。現在、市議会環境委員会(環境局、上下水道局、交通局)委員、神奈川県競馬組合議会議員。
- 家族は妻と長女。
宮原春夫の歩み
1943年4月富山県の貧しい農家に生まれた私は、高校卒業後、62年、日本ゼオン川崎工場に就職しました。三交代勤務の中で労働組合活動を続け、正しい事が通らない社会の矛盾にぶつかり労働者からの過酷な搾取で大企業が発展している事を学び日本共産党に出会い入党したのが23歳の時でした。
73年日本共産党の専従職員となり、秋葉栄一市議団長と行動を共にする中で多くを学び87年に市議初当選。
「要求は口から出た時が最も切実」とどんなことでもすぐに対応して相談者に経過を報告して来ました。このことが「すぐやる宮さん」「いつでも気さくな相談相手」との評価をいただきました。
90年代、内需拡大を要求する米国の思わくや日本政府が誘導する大型開発が相次ぎ推進されました。川崎市では「高速川崎縦貫道路」や「川崎港コンテナターミナル(KCT)」建設などが強引に行われ、阿部市政になってからも事業が引き継がれてきました。私は見通しの甘さを指摘し、事業を中止して予算を市民の福祉に使うよう議会で追及し続けました。そして、指摘してきたとおり、川崎港コンテナターミナル(KCT)は、6億円もの負債を抱えて破産整理に。税金の無駄づかい追及で、それ以上の市民への被害拡大をくい止めることができました。
03年に川崎区仲見世通りに「くらしの相談センター」を開設しました。「苦難あるところに日本共産党あり」の立場で取り組み現在は6人の専門相談員と12名のスタッフであらゆる相談を無料で受けています。相談件数は、2010年3月現在3800件を超えました。今では「困った時の駆け込み寺」と皆さんから喜ばれています。
その中で、今の川崎市政は国のいいなりになって市民生活を圧迫していること、市政の方向を住民こそ主人公に変えることの重要性を改めて実感。国のいいなりに福祉を削る「行革」ではなく、市民が望む福祉とくらしの充実、子育て支援や安心・安全のまちづくりに取り組み、税金のムダづかいをやめさせるために全力で頑張っています。
私の政治家としての立場は、「医療と教育は無料でなければならないし、富の再配分によって社会保障を充実させ、誰もが生きがいを持って人生を送れるようにすることが政治家の仕事であるべきだ。従って最も不公平な消費税は絶対反対し近い将来廃止すべき」にすえて、あらゆる課題に取り組んでいます。





