○輝く「新川通」は日本鋼管への通勤路
新しく出来た「新川通」は,川崎駅から臨海工業地帯へ縦貫する真っ直ぐ
の近代的縦貫道路だった。私営の「臨港バス」が路線バスとして走った。
折角のメインストリートだったがお客は日本鋼管度への通勤の朝夕の
混雑だけで, それ以外の時間のお客はパラパラだった。
○いくつかの分岐—- 新しい道・歴史の道・寺社への道
途中から別れる日本鋼管への道路は「日本鋼管通」として大正期に川崎最
初の近代道路として開設されているが, ほとんどバスも勤労者もそこを通っ
ていった。その分岐点に呼び名が付いた。「追分」。全国にあった分岐点
の地名だった。「新川通」からの分かれ道は, 新川橋からの「貝塚通」,
皐月橋での分岐は「成就院への道」。そして「大島八幡神社への道」「石
観音・大師への道」。
○2つの大道との新旧交差点・まちの新たな交差点
新ピカの「新川通」は, 小土呂橋で「旧東海道」と交差し, 新川橋で「新
東海道」と交差した。新旧の大道路である。池上・藤崎と渡田・小田とを
結ぶ道路と交差点は「大島四つ角」。以前には分岐(分かれ道)しか無く
交差する四つ角というのは“まち”と“道”の毛ダンのシンボルだった。
○「野川堀」が海に向かう「桜堀」。
「追分」を過ぎ「八幡橋」そして「大島四つ角」の直ぐ先で,「新川通」
は日本鋼管の方へ曲がり, 新川掘の本流は真っ直ぐ海へ向かった。その岸
には当時珍しかった桜があり, そこでは新川堀が「桜堀」と呼ばれた。
今井克樹
川崎の地名
「ニケ領用水」四百年—-「新川堀」栄枯③
2010年8月2日





