川崎の地名

「ニケ領用水」四百年—-「新川堀」栄枯④

2010年8月31日

○金ぴか道路「新川通」
「新川通」は、既に大正時代できていた「鋼管通」とつながり,どちらも
日本鋼管への通勤を主目的とする,川崎で最初の“産業道路”であり,川
崎最初の「コンクリート道路」だった。 (新川通竣工と同じころ「国道新
東海道」ができたのだが)。
○「新川堀」は「下水道」になった
それまでの「新川堀」は、その「新川通」の“下水道”となり,周辺のど
ぶ川の水を集めて流れた。そのどぶ川は川崎の各町にあり,晴れの日には
は道の側にある淀んだ「どぶ」でしかなかったが,雨の日には轟音をあげる
奔流なって,下水道となった新川堀に流入した。そして・・・ 。
○「新川通」と「下水道」が’町’をつくった
湿地や田んぼが多かった川崎駅から臨海までの地域が, 「新川通」と「新
川堀下水道」の建設によって変貌した。新道を中心とした地域が湿地から
住宅地になった。川崎駅から四ツ角まで,川崎で1番長い商店街がきた。
これは急増した臨海部工場の労働者・住民の需要に応えるものだった。
○縁日(夜店)も映画館も教会もある“昭和モダン”の町が
月に1度,現在の大島1丁目から四ツ角まで新川通に「縁日(夜店)」が
開かれた。並ぶ夜店は数十。これも川崎ではお祭り以外では珍しい賑わい
だった。映画館もできていった。何故か,キリスト教の教会も多かった。
まさに“昭和モダン”の華が,昭和初期の新川通に開いたのだった。

今井克樹