川崎の地名

「ニケ領用水」四百年—-「新川堀」栄枯⑤

2010年10月2日

○その新川通を筏がはしった!!
川崎は「川が先」「蚊が先」等と言われた。全体として多摩川の扇状地。
数千年前の河川敷としての特性を,住宅地として改良する公共事業が未熟だ
った。そのため全体として低潔地・澤沼地で水(雨)”に弱かった。その
中で一番高地の新川通が水没し,筏が走ったことがあった。
○暴風雨も大雨のたびに大島・田島・渡田・・・は水没した
そもそも大島・田島・渡田・・・など多摩川と鶴見川のあいだの川崎,と
くに多摩川と新川堀の流域の水害はひどかった。大雨が降ると大師道と新
川通の間は水没した。住居は水に浮いた。水が引くとまた元通りに納まっ
た。そうなるように浮いた家を家族そろって抑えたものである。
○頼りの「新川通」が冠水してしまった戦中のある日
しかしその中で,新川通は新道としての威厳をもって屹立し,その沿道に
形成された川崎一の商店街とともに水没を免れてきた(商店街の裏からの
住居地は冠水した)。その新川通が冠水。川崎の生活はピンチ。そこで誰
かが"筏"を出したのだろう。「皇紀輝く二千六百年」あたりの事件。
○排水事業が完成したのはやっと昭和40年代
新川通の下水になった新川堀の役割は大きかった。町中をおおった雨水は
張りめぐらされたドブから奔流となって新川堀にむかって流入した。その
ため冠水も雨がやむとたちまち干上がった。しかし,新川堀のような役割
を果たす下水がない地域での冠水つづきは,昭和40年代まで続いた。

今井克樹